現実世界とスピリチュアルな世界を結びたい。
「スピリチュアルな話って、何も根拠の無い、いい加減な話でしょ?」と、思われているかもしれません。
「なんだか、それを語る人って、空元気で、能天気な感じがして、信じられない」と、言われることもあるでしょう。
だから、そんな嘘っぽい、非現実的な世界には、近づくだけ、時間の無駄、と、切り捨てられてしまうことも多いでしょう。
冒頭から、いきなり「スピリチュアル」について書き出しましたが、今、このブログに私が記していることは、現実の世界でもあり、スピリチュアルな内容でもある、と思っています。
そして、スピリチュアルな世界は、確かに、確固たる根拠は見当たりませんが、日々、論理的な根拠、エビデンスを求められる現実世界で、息苦しさを感じているのなら、ほんの少しでも、このいい加減な、フワフワとした、スピリチュアルな領域に入りこんでみるのも、悪くはないのではないか、と、ご提案いたします。
その両方の世界を語るのが、私の仕事かな、とも感じています。
日々、まじめに生きている、良識のある方々が、いきなり、元気で、恐ろしく明るい、能天気なスピリチュアルな領域に、何も疑いを持たずに、簡単に入り込むことは、不可能でしょう。
そのような方々が、根拠がまるで無い、スピリチュアルな領域に、無理にでも入り込もうとすると、そこに、苦悩や迷い、自己への大きな不信を抱いてしまうでしょう。
それでも、それらと付き合いながら、もがきながら、やがて、そのおびえる私を全面的に受け入れて、その領域に思い切って入ってみると、そこで、これまでの私とは全く異なる、未知の、まっさらな私と出逢うでしょう。
今、この世界で、何も苦悩も、迷いも、自己不信も抱かずに、あっけらかんと、ただ明るく、スピリチュアルな世界に生きている人など存在しません。
もし、そういう人がいる、というのなら、その人は、もはや人間ではないでしょう。
現実は、明るくなれないから、明るくなりましょう、と言うのです。
ネガティブシンキングばかりだから、ポジティブシンキング!、と言われるです。
宇宙と一体の私を信じましょう、と言うのは、現実的に、そんなこと、感じたことなんてない、感じられない、からでしょう。
だから、スピリチュアルなんて、嘘っぽくて、やばいもの、となってしまうのでしょうけれど、現実世界があるならば、その嘘っぽい、やばい世界もあってもいいのかもしれません。
現実世界で、生きにくく、自分が一体何をしたいのかが見つからない、自身を信じる、とは、一体どういうことなのか、さっぱりわからない、といった苦しみを抱えているのなら、その世界の他に、そこと正反対の、何も根拠が無い、スピリチュアルな世界の存在も「あっていい」と認めてあげることでしょう。
すると、その苦しみの果てに、ふと、そのフワフワした世界へ、私は、入り込むかもしれません。
そして、第六感とかいう、何だか意味のわからないものが、ある時、ピピッーーー、と働いて、もがいていた難問への答えをサラッと連れてくるかもしれません。
ここに生きていくことは、苦、です。
私たちは、ここで、現実と向き合うことは避けられません。
現実からは逃げられません。
スピリチュアルな世界は、そこから遠く離れたところに、ただお気楽に、現実の苦の世界をあざ笑うように、フワフワと浮いているのではありません。
現実世界も、スピリチュアルな世界も、車の両輪、です。
私は、苦がつきまとう、この現実世界に足をしっかりとつけながら、そこで一所懸命に生きる人々に、この世界と密接なスピリチュアルな世界への自由な往来について、これからも記していこうと思っています。
ロジカルな根拠を求められる、この世界と、無根拠の、つかみどころの無い、スピリチュアルな世界との橋渡しができればいいな、と、現実世界での苦悩を抱え続ける私は、願っています。
「なんだか、それを語る人って、空元気で、能天気な感じがして、信じられない」と、言われることもあるでしょう。
だから、そんな嘘っぽい、非現実的な世界には、近づくだけ、時間の無駄、と、切り捨てられてしまうことも多いでしょう。
冒頭から、いきなり「スピリチュアル」について書き出しましたが、今、このブログに私が記していることは、現実の世界でもあり、スピリチュアルな内容でもある、と思っています。
そして、スピリチュアルな世界は、確かに、確固たる根拠は見当たりませんが、日々、論理的な根拠、エビデンスを求められる現実世界で、息苦しさを感じているのなら、ほんの少しでも、このいい加減な、フワフワとした、スピリチュアルな領域に入りこんでみるのも、悪くはないのではないか、と、ご提案いたします。
その両方の世界を語るのが、私の仕事かな、とも感じています。
日々、まじめに生きている、良識のある方々が、いきなり、元気で、恐ろしく明るい、能天気なスピリチュアルな領域に、何も疑いを持たずに、簡単に入り込むことは、不可能でしょう。
そのような方々が、根拠がまるで無い、スピリチュアルな領域に、無理にでも入り込もうとすると、そこに、苦悩や迷い、自己への大きな不信を抱いてしまうでしょう。
それでも、それらと付き合いながら、もがきながら、やがて、そのおびえる私を全面的に受け入れて、その領域に思い切って入ってみると、そこで、これまでの私とは全く異なる、未知の、まっさらな私と出逢うでしょう。
今、この世界で、何も苦悩も、迷いも、自己不信も抱かずに、あっけらかんと、ただ明るく、スピリチュアルな世界に生きている人など存在しません。
もし、そういう人がいる、というのなら、その人は、もはや人間ではないでしょう。
現実は、明るくなれないから、明るくなりましょう、と言うのです。
ネガティブシンキングばかりだから、ポジティブシンキング!、と言われるです。
宇宙と一体の私を信じましょう、と言うのは、現実的に、そんなこと、感じたことなんてない、感じられない、からでしょう。
だから、スピリチュアルなんて、嘘っぽくて、やばいもの、となってしまうのでしょうけれど、現実世界があるならば、その嘘っぽい、やばい世界もあってもいいのかもしれません。
現実世界で、生きにくく、自分が一体何をしたいのかが見つからない、自身を信じる、とは、一体どういうことなのか、さっぱりわからない、といった苦しみを抱えているのなら、その世界の他に、そこと正反対の、何も根拠が無い、スピリチュアルな世界の存在も「あっていい」と認めてあげることでしょう。
すると、その苦しみの果てに、ふと、そのフワフワした世界へ、私は、入り込むかもしれません。
そして、第六感とかいう、何だか意味のわからないものが、ある時、ピピッーーー、と働いて、もがいていた難問への答えをサラッと連れてくるかもしれません。
ここに生きていくことは、苦、です。
私たちは、ここで、現実と向き合うことは避けられません。
現実からは逃げられません。
スピリチュアルな世界は、そこから遠く離れたところに、ただお気楽に、現実の苦の世界をあざ笑うように、フワフワと浮いているのではありません。
現実世界も、スピリチュアルな世界も、車の両輪、です。
私は、苦がつきまとう、この現実世界に足をしっかりとつけながら、そこで一所懸命に生きる人々に、この世界と密接なスピリチュアルな世界への自由な往来について、これからも記していこうと思っています。
ロジカルな根拠を求められる、この世界と、無根拠の、つかみどころの無い、スピリチュアルな世界との橋渡しができればいいな、と、現実世界での苦悩を抱え続ける私は、願っています。